アルバム ~ある風景~

「鬼太郎、おはよー!」
 猫娘が勢いよく簾を上げると、丁度朝のジョギングに出掛ける準備をしている目玉親父と目があった。
 「お早う、親父さん」
 「おお猫娘か。今日も早いのぉ。これからアルバイトかな?」
 「うん、そう。その前にそこの寝ぼすけさんにもう一度確認しておこうと思ってね」
 猫娘が苦笑まじりに言った。少し間を置いて思案した目玉親父は「ああ」と納得し、ゆるやかに笑んだ。そして、ちらりと猫娘の言う「寝ぼすけさん」――自分の息子が蓑虫のように布団に包まっている一角を見た。
 「まぁ、分かっておると思うがな。起こしてやってくれ」
 目玉親父は言った。「砂かけにはいつも助けてもらっている。それ位何という事もないわ」
 ランニングシャツ、肩にはクリーム色のタオルを掛け、矍鑠(かくしゃく)とした目玉親父はぴょんとちゃぶ台から飛び降り、猫娘と入れ違いに部屋から出た。
 「さて、と」
 目玉親父を見送った後、猫娘は振り返り、布団に丸まっている幼馴染の方を向いた。ひやりと冷たい床板の上を歩み寄り、鬼太郎が眠っている布団の傍まで近寄った。
 「ね。鬼太郎、起きて」
 ゆさゆさと布団の小山を揺すって猫娘は声をかけた。やがて、もそっと布団の小山が動き、端から茶色の丸い頭が現れた。寝惚け眼の鬼太郎である。
 「うぅん……何だよ猫娘ぇ」
 寝惚け眼の鬼太郎の鼻にかかった甘い声がする。寝起きの鬼太郎は女心をくすぐる位可愛い。猫娘はもっとそれを堪能したいと思う欲望を理性で抑え、話かけた。
 「お早う。あのね、今日の事ちゃんと覚えてる?」
 大事な確認なのである。
 鬼太郎は呆けた顔のまましばらく無口であった。そのまま再び眠ってしまうのじゃないかと猫娘が心配する位身動きも全くしなかったが、猫娘が痺れを切らす前に漸く動いた。
 「……覚えてるよ。長屋の大掃除の手伝いだろ?」
 と、それだけを言って、猫娘の見ている前で鬼太郎は布団の中にもぐりこんだのだった。
 唖然と目を見開いた猫娘は、布団の中で静かな寝息がやがて聞こえてきたのを知って、拗ねた。
 「もうっ! お願いだよっ」
 頬を膨らませ、噛み付くような勢いでそれだけを言うと、鬼太郎が丸くなっている布団を両手で思いっきり叩いた。布団とその中身がバウンドする実に大きな置き土産を贈った。
 バタバタと足音を立てて猫娘が部屋から出て行った。後、のそりと布団が動き、鬼太郎が顔を出した。猫娘が去った部屋の入口をじっと見て、やがてもう一度布団の中に潜った。早朝から揚々と行動できる快活さなど鬼太郎は持ち合わせていない。布団の中からくぐもった欠伸の声が聞こえた。

 


 毎年、ツリーハウスの年末の大掃除を猫娘が率先して取り組んでいたが、今年はアルバイトが立て込んでいて無理だった。クリスマスも人手が足りないと呼び出されたのだ。元来のお人好しな猫娘は断る事も出来ずについつい予定をアルバイト一色で埋めてしまった。その為、恒例のツリーハウスの大掃除は妖怪長屋の住人たちが協力し、そのお返しに長屋の大掃除を今度は鬼太郎が手伝う約束を交わした訳だ。
 今朝、猫娘が気に掛けて様子を伺いに来たのは、ひとえに心配であったから。
 ――漸く覚醒した鬼太郎は、ジョギングから戻って来た父と一緒に朝食を食べ、ひと息ついてから妖怪長屋に赴く為に外に出た。
 寒さが身に沁みる。風は無いが空気が刺すように痛い。吐くと息が白く丸く浮かんでは冷えた空気と同化して、消える。目玉親父は寒がって鬼太郎の髪の中から出て来ない。鬼太郎のカランコロンと鳴る下駄の音が聞こえていた。
 長屋に着くと、既に大掃除が始まっているのか、砂かけ婆の音頭に長屋の住人たちが大きな家具や畳を外に出していた。ぬりかべも協力しているのには驚いた。大きな木棚を彼が楽々と運んでいる傍で、子泣き爺やカワウソ、呼子が砂壺や葛篭などをせっせと運んでいる。傘化けとアマビエが窓拭きをしているのを見た。「あれはここ、それは向こう」と確認しながら指示を出している砂かけ婆の隣に、鬼太郎は立った。
 「お婆、お早う」
 「おお鬼太郎か。よく来てくれたな」
 「うん。この前のお礼もあるしね」
 「そうかそうか。……猫娘にでも釘を刺されたんじゃろ」
 「あ。バレタか」
 鬼太郎はそう言って肩を竦めた。砂かけ婆はからりと笑った。
 ドーン、と、長屋の方から大音響がした。見ると、カワウソが砂かけ婆が砂の調合の際に参考にする文書の入った葛篭を誤って落としてしまったらしい。かなり掃除を怠った葛篭であった為、濛々と埃の舞う中でけほけほと涙目で咽(むせ)るカワウソが「俺もうヤダよ……」と嘆いているのが聞こえた。
 「これ、大事に扱わんかい!」
 砂かけ婆が声を荒げてカワウソに向かって肩を怒らせる。その肩に鬼太郎は手を置き、言った。
 「僕は何をしたらいいの?」
 「ふむ。鬼太郎はな……そうじゃ、和室にろくろ首が居る筈じゃ。あの子の手伝いをしてやってくれんか?」
 「了解」
 鬼太郎の返事を聞いて、砂かけ婆はトントンと鬼太郎の背中を軽く叩いてから散らかった葛篭の中身の文書の前で駄々をこねているカワウソの方に向かって行った。
 鬼太郎は長屋の中に入り、ろくろ首が居るであろう和室に向かった。
 和室は窓が全開で、入った瞬間に正面から風が当たり、鬼太郎は思わず目を閉じ身を竦めた。ゆっくり目を開けると、障子の張り替えをしている最中のろくろ首と目があった。
 「あら。手伝ってくれるの?」
 「うん。お婆に頼まれてね」
 「嬉しいわ。じゃ、あっちの押入れの整理をお願いするね」
 ろくろ首がその長い首で示した方向にある押入れ。そこが今回鬼太郎に課せられた持ち場であるみたいだ。
 「了解」
 鬼太郎はろくろ首に答え、押入れに向かった。

 


 「あ」
 押入れに入り、、一つひとつを確認しながら作業をしていく途中で、鬼太郎の気の引くものがあった。
 「何じゃ。何があったのか?」
 掃除に入って、目玉親父も鬼太郎の髪の中から出てきて、押入れ探検隊宜しく見て回った。座布団の山をロッククライミングのようによじ登っていた時に鬼太郎の声を聞き、そちらに向かった。鬼太郎は手にあかがね色の絹で装飾された本のようなものを持ち、矯めつ眇めつ眺めていた。
 「何じゃそれは?」
 「どうやらアルバムみたいですよ」
 「アルバムじゃと?」
 目玉親父がいたく興味を示した。鬼太郎は苦笑し、押入れの中から外に出た。暗い押入れから出してきたアルバムは、動かすと光に反射して仄かに光った。重厚な感じのするアルバムである。それを挟んだ対向に目玉親父が覗いている。鬼太郎はそっとめくってみた。
 「おお!」
 目玉親父が思わず感嘆の声を上げた。「これはこれは……」
 目を細め、思い出を辿っているような父と、黙って見入っている息子。それはかなり古い写真で、色褪せていた。所々虫が喰ったように四隅が破れ、シミの入った写真もある。それらが、綺麗に並べられてこちらを伺っていた。


 見つめる――顔。

 「懐かしいのぉ」

 長屋の前での記念写真……パチリ。
 砂かけ婆と子泣き爺。一反木綿が宙に浮き、まだ長屋に入居していたぬりかべが笑っている。その前に、横丁に来たばかりの頃の表情の硬い幼い鬼太郎。ぬりかべの手の上の目玉親父……パチリ。

 「みんな笑っていますね」

 横丁の大通りで独楽を回す幼い鬼太郎。それを見て指を差して笑うのはふらりとやって来たであろう蒼坊主……パチリ。
 ろくろ首と砂かけ婆が新しい着物の為の反物を絹狸の店で吟味している写真……パチリ。
 階段から足を滑らせた直後の傘化け……パチリ。
 ぬりかべによじ登って遊ぶカワウソと呼子……パチリ。
 落ち葉を集めて焚き火ついでの焼き芋を一気に頬張って、咽喉につかえてのた打ち回るねずみ男と呆れる鬼太郎たち……パチリ。
 
 どれも、在りし日の思い出をよみがえらせてくれる。


 「どうしたの? ……あら」
 アルバムを見入って手が動いていなかった鬼太郎に気付き、ろくろ首が傍に来た。そして、鬼太郎の肩越しにアルバムを見て、目を細めて微笑んだ。
 「こんなものがあったのね」
 懐かしいわ。と、鬼太郎の隣に座り、ろくろ首はページをめくった。
 永遠ともいえる時間を彼等は生きているが、凍った時間を持っているのでは無い。人とは違う緩やかな速度で確実に刻まれている時間は、こうして、写真というかたちになって残ってくれた。
 その中で築かれる関係。深まる、縁。
 「あっ、これは」
 ろくろ首が大きく目を見開き、ついで、頬を緩めた。
  「ねぇ、見てごらん。鬼太郎」
 そう細く白い指が示す写真に、鬼太郎は目が釘付けになった。


 一枚の写真。
 障子は開け放たれ、陽光が斜めに射す。畳の目がうっすらと影をつくる和室。背後に押入れがあり、押入れの張り紙の模様は墨で描いた田舎の風景。よく知っている。――よく知っている筈である。この写真を撮っている場所は、ここ。
 この和室で写っているものは……。

 「可愛らしい。まるでお雛様みたいね」

 ろくろ首が頬を染めて笑う。
 写っているのは。

 ――幼い日の鬼太郎と猫娘。

 不慣れな羽織袴に落ち着かない様子の幼い鬼太郎と、大輪の牡丹の花が一面に広がる桃色の晴れ着と、頭に大きな牡丹の花の髪飾りを付けて、薄く化粧を施されてすましている、幼い猫娘。
 鬼太郎と猫娘が並んで座り、写っていた。

 「ほお、随分とめんこいもんじゃのぉ」
 目玉親父もホクホク顔で言う。「ほれ鬼太郎。お前と猫娘じゃ」
 ちゃんと見てるのか、鬼太郎。と、父が息子を見上げると、息子はまるで時が止まったかのように身動き一つしないで凝視していた。
 もじもじと身の置き場の無い様子の自分と、可憐な花を着飾ったお人形のような幼馴染――今と変わらない笑顔の猫娘。写真から見える幼いふたりの関係は、少しだけ緊張しているように感じるが、それは互いを意識しているからであろう。そんな初々しさが写真には微笑ましく残っていた。
 「何じゃ鬼太郎。……ひょっとして猫娘の可愛さに見惚れておるのか?」
 目玉親父が冗談まじりに言ったのを聞いて、やっと鬼太郎は我に返った。
 「えっ、やだなぁ。そんな事は無いですよ」
 「そうかしら~。随分と熱心に見てたわよ、鬼太郎」
 ろくろ首がからかう。「ほら、図星? 顔赤いよ」
 彼女の言う通り、鬼太郎は真っ赤な頬をしていた。慌てて頬を両手で覆った。
 「ち、違いますよ。外の風が冷たくて赤くなっただけですっ」
 そんな言い訳も可愛いもの、と、目玉親父とろくろ首はそう思い、お互い顔を見合わせた。
 
 ――熟れた頬に冷たい風が心地好く感じた、大掃除の風景。

<fin>

 

 

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