苺 ~ある風景~

どこか浮かれたような気分に浸っている人々が賑わう町。大通りに面した店々も色鮮やかで楽しげなクリスマス仕様になって、人目を惹きつけている。
 その中の一つ、小さな洋菓子店から最後の客が帰っていき、「有難うございました」と見送りのスタッフが店の外で頭を下げた。
 猫娘である。
 やり遂げたという達成感から、彼女の表情は晴れ晴れと輝いていた。
 クリスマスケーキの売れ行きは上々であった。
 「今日は御苦労さん。――これ、頑張ってくれた御褒美だよ」
 本日の売り上げに満足した笑顔の眩しい店長が、「ラッピング無しで悪いね」と一言付け加えながら白い箱を猫娘に渡した。ふわふわの雪景色と赤い苺が見える。ワンホールのケーキであった。
 「わぁ。店長、有難う!」
 ケーキの箱を両手で大切に持ち、猫娘は店長にお礼を述べた。お人好しそうな店長は満足そうに頷いた。
 「何々。根古(ねこ)ちゃんのおかげでここん所売上良かったからね~。お礼言うのはこっちの方だよ」
 「でも……いいんですか?」
 「いいよいいよ。たった一つ残ったケーキだ。休みの所を急遽呼び出したんだから、これ位はさせてくれない? ボーナスだよ」
 そこまで言われると素直に受け取るしかない。猫娘は店長に頭を下げた。
 思いがけずに頂いてしまったクリスマスケーキ――鬼太郎や目玉親父が喜ぶかも知れない。それを思うと、頬が自然に緩んだ。
 他のアルバイト仲間より一足早く店を出た猫娘は、ケーキの箱を大切に抱え、軽やかな足取りで横丁へ戻る道を急いだ。

 


 少しでも早く戻ろう、少しでも長く大好きな人の顔を見ていられるようにする為、と、猫娘はツリーハウスへ向かった。そんな可愛らしい乙女心は肝心な相手にはどれ程伝わっているのかさっぱり不明で、もしかしたら毛程も伝わっていないのかも知れないし、はたまたからかっているだけかもしれない、と、度々落ち込む事もあるのだが、恋する乙女の強さは楽天的な位明るい。それを身をもって知らしめてくれる猫娘は、今日も元気にツリーハウスの簾を上げた――が。
 「鬼太郎、親父さん、今晩は! ……って」
 「やぁ猫娘、いらっしゃい」
 鬼太郎に笑顔で迎えられた猫娘であったが、普段なら喜んで鬼太郎の隣にでも座って嬉々と話かける所が、部屋の入口に突っ立ったまま眉間に皺を寄せ、こめかみに青筋まで浮かべていた。
 ちゃぶ台を囲むのは鬼太郎と、ちゃぶ台の上の目玉親父と、そして、黄土色のぼろ布……。
 「よぉ! 猫娘じゃねぇか」
 「なぁんであんたがここに居るのよぉおおお!」
 口が裂け、両目が金に輝く。全身が総毛立っているという表現そのままに、猫娘はねずみ男を威嚇した。米粒を頬につけて呑気に箸を持っていたねずみ男は、飛び跳ねるように鬼太郎の背中に隠れた。
 「あんたまた鬼太郎に強請(たか)りに来たっていうのっ?」
 「強請るとはそりゃ人聞きの悪い。お相伴に与りに来ただけ……」
 「どっちも同じにゃあっ!」
 クワッと更に牙を光らせた猫娘を見て、鬼太郎は苦笑した。


 いつもの光景である。


 ねずみ男と猫娘が他愛も無い喧嘩をし、鬼太郎がこうして苦笑する。何も心に障るものも無く、危険が迫る事も使命に絡み取られる事も無い。ごく平凡な光景――鬼太郎が心から希(のぞ)み、ほっとするひと時である。
 「まぁ猫娘。その辺でやめてあげなよ」
 そして、鬼太郎が仲裁するのも、日常。
 猫娘はぷうと頬を膨らませ不服そうであるが、しぶしぶ了承した態で鬼太郎の隣――ねずみ男の正面に座った。そして、ケーキの入った箱を自分の背後に置いた。
 ――食事の最中であったのか、ちゃぶ台の上には白米の主食と味噌汁、そして数種類の漬物があった。質素というべきか相変わらずの粗食である。目玉親父も白米を自分サイズに合わせたおにぎりにして食べている。
 「猫娘も食べなよ。アルバイトで何も食べていないんだろ?」
 鬼太郎が茶碗にご飯をよそって差し出してくれた。ピンク色で猫の模様の入った猫娘専用の茶碗である。猫娘は黙ってそれを受け取った。自分専用の茶碗が用意され、当り前のように使われている。

 ――まるで、家族のよう。

 茶碗を受け取り、伝わってくるあたたかさに猫娘はくすりと笑った。視界の端、自分の正面でがつがつとご飯を掻っ込むねずみ男が少々見苦しく思うが、まぁ今回だけは大目に見てあげようと寛大になれるのは、不思議でもある。が、やはりこの――鬼太郎から手渡しされたあたたかさのおかげであろう。
 「感謝しなさいよね、ねずみ男」
 茶碗に顔を埋めていたねずみ男が「へ?」と顔を上げる。猫娘は気にする事無く両手を合わせて「頂きます」と箸を付けた。
 「そういえば猫娘、それは何だい?」
 自分の茶碗が空になって、お茶を注いて飲んでいた鬼太郎が訊ねた。味噌汁を啜っていた猫娘は、目だけで鬼太郎をみ、彼が何を指して質問をしたのかを知った。
 「ああ、これはケーキよ」
 味噌汁の碗を置き、猫娘が後ろの箱をちゃぶ台の上の食器を脇にどけて、ケーキの箱を置いた。
 「ケーキだって!?」
 ねずみ男が当然のように目を輝かせた。――ああ、そうなるだろうなとは充分予測していた分、猫娘は苦笑するだけで留まった。
 「そ。バイト先の店長がくれたの。クリスマスケーキなんだ」
 「へぇ。今日はクリスマスなんだ」
 「ちげーよ。正確にはイヴだよイ・ヴ」
 ねずみ男に上げ足をとられたが然程気にしなく、鬼太郎は猫娘の持ってきたケーキの箱を見た。猫娘は箱を開き、中のケーキを取り出した。やわらかそうなスポンジの上に、一面の銀世界のような生クリームが塗られ、サンタクロースやチョコで作られた丸太小屋、クリスマスツリー、沢山の苺が並び、甘い香りが仄かに漂った。
 「おおっ。美味そうじゃのぉ」
 甘いものが大好きな目玉親父も、目玉の顔をキラキラ輝かせて食い入るように見ていた。ねずみ男など、身を乗り出してケーキの香りを胸いっぱい吸い込んでいる。そんなふたりを見て、鬼太郎と猫娘は顔を見合わせて笑った。
 「じゃ、切るわよ」
 猫娘が棚から包丁を取り出し、ケーキを取り分ける事にした。つるべ火の炎で刃を温め、ケーキを切る。すっと吸い込めれる刃はまるで空気を切っているように軽々と動き、あっという間に八等分に切り分けられた。ワンホールは彼らには多過ぎる量のようにも見えるが、そんな事は無く、皆が一つを食べている間にねずみ男はあっという間に二つぺロリと食べ、三つ目に手を出そうとした。
 「ちょっとねずみ男っ、あんた食べ過ぎよ! あんたの為に貰ってきたんじゃないのよ!」
 「いいじゃねぇか。 こまけぇ事言いっこなしだぜぇ」
 「何ですってぇ!? ちょっとは遠慮ってものを知りなさいっ」
 だん、と、ちゃぶ台を叩き、再び猫娘が化け猫化して威嚇する。三つ目をたいらげたねずみ男の手を、猫娘の鋭い爪が引っ掻いた。
 「あ痛ぇ!」
 「……ふん!」
 ねずみ男が手を押さえて悶え転げている間に、猫娘は残りのケーキを箱に仕舞い、ねずみ男から離した。


 鬼太郎は何だか可笑しくなって、くすくすと笑った。
 穏やかで当り前の日常は、こんなにも、愛おしい。


 「猫娘」
 鬼太郎は猫娘を呼んだ。ねずみ男を睨みつけていた猫娘は鬼太郎に呼ばれ、彼の方を向いた。その、口に――サクランボのような愛らしい口に。
 「あ……!」
 鬼太郎は真っ赤な苺を摘まみ、押し込んだ。
 猫娘の唇に当たった冷たくて甘い苺は、するりと温かい口腔に入り、じゅわりと甘い蜜を出して、満たした。
 鬼太郎が、にっこり笑う。
 
 「いつも有難う、猫娘」

 「あ、えと……」
 そんな風に優しくお礼を言われるとどうしていいのか分からなくなる。
 猫娘は耳まで真っ赤になって俯いてしまった。それを見て、目玉親父に「何じゃ、苺みたいじゃの」と、からかわれた。猫娘は更に身を小さくして顔を隠した。
 「そうですね」
 と、鬼太郎が更に楽しそうに答えた。

<fin>


 

 

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