ねぇ、君は覚えてる?
「きたろ~?」
いつものようにそう僕を呼びながら、彼女が莚を捲くって顔を覗かせる。
「やぁ、ネコ娘。」
僕もいつものようにそう彼女に返事をする。
でも、
「あら、ネコ娘。」
「にゃっ!葵ちゃん!?どうしてここに・・・・・?」
いつもはいないはずの雪女の姿に彼女は驚いていた。
無理もないよね。
雪女は君をからかってるだけなのに、
君は恋のライバルだと思い込んでるんだから。
「僕が呼んだんだ。ちょっと用事があってね。」
僕がそう笑顔で言えば、君は信じられないといった顔で僕を見る。
「用事・・・・?」
「そうなの。じゃあ、そろそろ行きましょ?」
「あぁ、そうだね。」
そんな僕らのやりとりを、君は呆然と眺める。
「あ、ネコ娘は確かこれからバイトだったよね?
気をつけて行っておいで。」
「え?あ、うん・・・・。」
未だ立ち尽くす彼女を置いて、僕と雪女は外へ出る。
きっと君の心の中は、これから嵐が吹き荒れるんだろうね。
でもごめんよ、君を連れて行くわけにはいかないんだ。
「ネコ娘って本当に可愛いわね。」
「ははは、でも君は恨まれるんじゃないのかい?」
「う~ん、それは困るわね。まぁ、後でちゃんと誤解を解いてくれれば大丈夫よ。」
僕たちはそんな会話を交わしながら、ある場所へとやってきた。
「あぁ、ここだ。」
そう言って辿り着いたのはある泉の畔。
「確かあの辺に・・・。」
僕は目当てのものを探し始める。
泉の水を覗き込みじっと目を凝らすと、それはすぐに見つかった。
「よかった、あった。」
僕はそれを静かに手で掴み、そっと持ち上げた。
「へぇ~、綺麗ね。」
「昔は手が届かなくてね。」
「鬼太郎も意外と気障なことするのね。」
「ははは・・・、じゃあ、頼むよ。」
「任せて!」
笑顔でそう言う雪女に、僕は手の中のものを差し出す。
彼女はそれを受け取ると、目を瞑り精神を集中させ始めた。
「・・・・・・・。」
そしてゆっくりと息を吸い、手の中のものにふぅと優しく冷気を吐いた。
するとそれは見る間に氷で覆われる。
それを両手で包み込み、更に冷気を当てていく。
「・・・・出来た。」
そう言って手を開くと、楕円形の透明な石があった。
「ありがとう、助かったよ。」
「ネコ娘、きっと喜ぶわね。」
「そうだといいんだけど。」
「鬼太郎がくれるものならなんだって大喜びするに決まってるわ!」
自信なさげな僕に対して、雪女は笑いながらそう言った。
「じゃあ、あたしは帰るわね。」
「あぁ、本当にありがとう。」
「ネコ娘のためだもの!それじゃあ!」
そう言って、雪女は空へと消えていった。
雪女と別れて、僕は時間を潰していた。
これを渡すまでにはもう少し時間がある。
僕は珍しくソワソワしていた。
今日は満月。
彼女の喜ぶ顔が早く見たかった。
日が落ちて、そろそろ星が瞬き始める頃、僕は人間界に来ていた。
やがてある店の前まで来ると、僕はガードレールに寄りかかった。
ここで彼女を待つために。
しばらくして店の自動ドアが開き、
「お疲れ様でした~!」
と言いながら、彼女が出てきた。
パッと前を向くと、心底驚いた様子で僕の名前を呼ぶ。
「鬼太郎!?どっ、どうしたの!?」
「やぁ、お疲れ様。この後、時間あるかい?」
大きな目を更に大きくした彼女に、
僕は笑顔でそう言った。
「えっ!?あ・・・もっ、もちろん!!」
目の前に僕がいることを理解するまでに随分時間がかかったみたいだ。
並んで歩き出す頃には、すっかり秋の虫たちが鳴きだしていた。
黙ったまま歩く僕を、彼女は何か言いたげにチラチラ見ている。
「僕の顔に何かついてるかい?」
少し眉を下げてそう言えば、彼女は頬を染めて首を振る。
しかしすぐに視線を落とし、言いづらそうに口を開く。
「・・・・葵ちゃんは・・・・?」
あぁ、きっとバイト中もずっと気にしていたんだろうね。
ごめんよ、でもちょっとだけヤキモチを妬かせてみたかったんだ。
「用事が済んだらすぐに帰ったよ。」
「そう・・・。」
短くそう言って俯く彼女。
きっと、なんの用事だったのかが気になってるんだよね?
でも、それはもうすぐわかるから・・・・。
やがて僕らはゲゲゲの森へと辿り着いた。
「ねぇ鬼太郎、どこに行くの?」
「着いたらわかるよ。」
それだけ言って、僕は黙って手を差し出した。
「にゃっ・・・?」
「危ないからね。」
手を繋ぐなんて想像もしてなかったようで慌てる様子の彼女に、
僕はにっこりと微笑んだ。
彼女は夜目が利くから、本当は危なくなんかないんだけどね。
そんなことを考えて、僕は一人で含み笑いをする。
おずおずと僕の手に自分の手を重ねてくる彼女。
僕が手を握ればピクッと肩を震わせる。
きっと君の頬は赤く染まっているんだろうね。
でもね、君の細くて柔らかな手に触れて、
僕だってちょっとドキドキしてるんだよ。
君は気づかないだろうけどね。
手を繋いだまま、僕らはしばらく無言で歩いた。
やがてあの泉が見えてくると、
「あっ・・・・。」
と、彼女が小さく声を挙げた。
「うん、あそこだよ。」
僕らはそのまま泉の畔までくると、並んで腰を下ろした。
「鬼太郎・・・、ここって・・・。」
「覚えてるかい?」
「当たり前じゃない!忘れるわけ・・・ないよ・・・。」
「うん、そうだよね。
僕と君が初めて会った場所だものね。」
そう、ここは僕と彼女が初めて出会った場所。
すべてがここから始まったんだ。
「今日はね、僕と君が初めて出会った日なんだよ。」
「!!・・・・覚えてたの・・・・?」
そう言った彼女の瞳が揺れる。
「忘れてると思った?」
「・・・・うん、ごめん・・・。」
「あはは、ひどいなぁ。」
「だっ、だって!鬼太郎ってそういうことに無頓着だし!
今日だって葵ちゃんと出掛けちゃうし!絶対忘れてると思ったんだもん・・・。」
僕が覚えてたことが嬉しかったのか、雪女と出掛けたことが悲しかったのか、
彼女は大きな瞳にうっすら涙を浮かべた。
「実はね、雪女にはこれを作る手伝いをしてもらったんだ。」
そう言って僕は、ズボンのポケットから小さな石を取り出した。
「・・・これは・・・?」
僕の手の中にある石を、彼女は不思議そうに見つめる。
僕はそんな彼女の手を取って、石をそっと乗せた。
「これを月の光にかざしてごらん?」
そう言えば、彼女は言われたとおり石を月へとかざす。
「・・・わぁぁぁ・・・・、綺麗・・・・・・。」
彼女の反応を見て、僕はホッとした。
「中にあるのが何かわかるかい?」
「・・・これ、お花・・・?」
「うん。」
僕が泉の中から採ったのは花だった。
それはこの泉の中でしか咲かない珍しいもの。
青くてハート型をした花びらが5枚。
陸上では見ることの出来ない花。
「あ・・・、これって、もしかして・・・。」
「そう。僕が君に初めてあげた花だよ。」
僕と彼女が出会ったのは、秋の夜だった。
僕がまだ幼い頃、父さんと偶然ここを通りかかったときのこと。
泉を見つけ立ち止まると、
そこには満月が映りこみ、まるで泉自体が光っているのではないかと思うほど美しい光景だった。
僕はしばらくぼーっと眺めていた。
やがてどこからかすすり泣く声が聞こえてきた。
妖怪アンテナもまだうまく使いこなせていなかった僕は、
辺りをキョロキョロ見回した。
すると泉の傍の草の上で、小さな何かが動いているのを見つけた。
そっと近づいてみると赤いジャンパースカートに、
大きなピンクのリボンをつけた女の子が泣いていた。
その小さな背中は僕と変わらないくらいの大きさだった。
「・・・どうしたの・・・?」
驚かせないようにと思ったけど、
やっぱりその子はビクッと身体を震わせて、ハッと顔を上げた。
大きな目からは涙がポロポロと零れていた。
「ぼ・・・僕、鬼太郎っていうんだ。
君の名前は・・・?」
警戒されないよう、優しくそう聞いてみる。
「うっ・・・ひっく・・・・な・・・な・・・まえ・・・、しら・・ないのっ・・・。」
泣きながら必死に答えようとする彼女が、とてもかわいそうに見えた。
「名前がわからんとはのうぅ・・・。
お前さん、どこから来たんじゃ?」
それ以上何も言えない僕に代わって、父さんがそう話しかける。
「ふっく・・・わ・・・かんない・・・っく・・・・。」
ピョンと僕の頭から飛び降りた父さんが、
その子の側まで行ってそのまま肩までよじ登る。
「よしよし、ワシは目玉おやじじゃ。
お前さん、一人なのか?」
頭を撫でながら、父さんは優しく聞いた。
「ひっく・・・うん・・・あたし・・・ひとり・・・ぼっちなの・・・。」
「そうかそうか、そりゃ~寂しかったのぅ。
腹も減ったじゃろう。
お前さんさえよければワシらとくるか?」
「っ・・・もう・・・ひとりはヤダよぅ・・・っくぅ・・・。」
「よしよし、もう大丈夫じゃよ。
ワシらがついておるからの。」
そんなやりとりを、僕はただ黙って見ているしかなかった。
こんなとき何を言っていいかわからなかった僕には、
父さんの小さな身体はとても大きく感じた。
しばらくするとその子も泣きやみ、3人で座って話を始めた。
「ここにくる前はどこにいたの?」
「うんと、誰も住んでないお家とか、神社とか・・・。」
「ふむ、どうやらお前さんは猫族のようじゃが、家族はどうしたのじゃ?」
「・・・わかんない。気づいたら猫のお母さんがいたの。」
どうやらどこかの親猫が彼女を不憫に思い、
自分の子供と一緒に育てていたということのようだった。
彼女は親の顔も、自分が誰なのかさえ知らなかった。
「そうか、辛かったのぅ。
しかし、名前がないと困るのぅ・・・。」
「お父さんがつけてあげたら?」
「ふむ・・・・、『ネコ娘』でどうじゃ?」
「ねこむすめ・・・。」
「・・・うんっ!」
父さんがつけた名前が気に入ったようで、彼女はにっこりと笑った。
そのとき初めてみた彼女の笑顔に、僕は幼いながらも惹かれていた。
だけどそれは随分後になってから気づいたんだけど。
「いっぱい泣いたら喉渇いちゃった!」
そう言って彼女は泉に顔を近づけていく。
すると彼女の動きが止まる。
「・・・あれ、なんだろう・・・?」
彼女の目線を追うように泉の中を見てみると、
暗くてよく見えないが植物のようだった。
「なんだろう・・・・。」
僕は腕まくりをして泉の中に手を入れてみる。
「あれ・・・?もうちょっとなんだけど・・・・。」
届きそうで届かない距離に焦れた僕はジリジリと腕を伸ばす。
しかし、
「うわっ!!」
下駄が滑って、僕はそのまま泉に落ちた。
「きゃ~~!!」
「鬼太郎!!!」
「ぷはっ!!」
頭から落ちた僕が水面から顔を出したとき、
二人は心配そうな顔で僕を見ていた。
「大丈夫か!?鬼太郎!」
「うん!僕は平気だよ、お父さん!」
落ちたことが恥ずかしくて、妙に大きな声になってしまったことを今も覚えてる。
「はい!ネコ娘!」
陸に上がるより先に、右手に握り締めていたものをネコ娘に差し出した。
「?わぁぁ!キレイなお花!!」
泉の中にあったのはその花だった。
僕は足が滑った瞬間に掴んでいたんだ。
「鬼太郎ってすご~い!ありがとう!!」
僕の手から花を受けとって見せた笑顔は本当に嬉しそうで、
僕までなんだか嬉しくなった。
陸に上がって服を絞っている間も、
彼女はずっと花を見つめていた。
しかしすぐに、
「あ~~~!!!」
と、驚きと落胆の声が挙がる。
「どうしたの?」
そう言って駆け寄れば、
彼女はまた泣き出しそうな目で、手の中の花を差し出した。
見ればさっきまであんなに美しかった花がもう枯れて茶色くなっていた。
「なんで・・・。」
「ふむ、もしかするとその花はこの泉の中でしか咲けない花なのかもしれんのぅ。」
そんな説明にも、僕らはがっかりするばかりだった。
「お花さん、ごめんね。
鬼太郎も、落ちてまで採ってくれたのに、ごめんね。
あたしが見つけちゃったから・・・。」
まるで持っている花のようにしゅんとするネコ娘を、
僕はなんとか慰めたかった。
「僕なら大丈夫だよ!だから元気出して?」
そんな言葉しか言えなかったけど、ネコ娘は笑ってくれた。
「うん、ありがとう。
鬼太郎が一生懸命採ってくれたこと、あたしずっと忘れないよ!」
そう言って笑った君を、僕はずっと覚えてるんだ。
「あの時は嬉しかったなぁ・・・。」
「今度は枯れないように、雪女に永久凍結してもらったんだ。」
「そっか・・・、それで葵ちゃんと・・・。」
真実がわかって、やっと安心したように微笑む彼女に、
「もしかして、ヤキモチ妬いてたのかい?」
と、意地悪をしてみたくなる。
「にゃっ!?ヤキモチなんか・・・・そりゃぁ、ちょっとは・・・・。」
最後は消え入るようにそう言って、彼女は顔を赤く染める。
「・・・君が心配するようなことは何もないよ。その石が証拠にならないかな?」
「・・・・・うん。本当にありがとう、鬼太郎。」
そう言って彼女が微笑む。
昔ここで出会った少女のあの眩しい笑顔が蘇る。
そう、僕はあの時から君に恋していたんだ。
「あ、ねぇ、おやじさんは?」
いつもなら二人になりたがるのに、
今日は珍しく父さんを気にするものだから、僕はまた意地悪をする。
「僕と二人じゃ嫌なのかい?」
「ちっ!違っ!!そ・・・そうじゃ・・・なくて・・・。
そ、そりゃ、二人でいるのはう・・・嬉しいけど・・・。」
「ははは、冗談だよ。父さんならそろそろくるんじゃないかな?」
そう言ったそばから、どこからともなく化け烏の羽音が聞こえてくる。
「もっ、もう!鬼太郎の意地悪!!
・・・でも、やっぱりおやじさんにはすごく感謝してるから・・・、
今日は3人でいたいの・・・。」
「うん、そうだね。」
「お~~い、鬼太郎~~、ネコ娘~~。」
「おやじさ~~~ん!!」
空に向かって手を振る彼女の笑顔が、月の光を浴びてキラキラしていた。
そして僕は満月に視線を移した。
どうか
彼女の笑顔がずっと見れますように
僕は月夜に願った
終