油断した!
悔しい!
悔しいよぉっ!!
書店のバイトで倉庫の整理をしていたネコ娘に、一人の男が声を掛けてきた。
「猫ちゃん、手伝うよ。」
男はバイト仲間。
歳は23。
しかし、その見た目はどう見ても年相応には見えない。
ボサボサの髪、だらしなく生やした不精髭。
おまけに背は高くないのに体重はかなり重そうだ。
そのせいで目は開けているのかどうかすらわからないほど頬の肉に圧迫されている。
世に言うオタク。
ネコ娘はこの男に嫌悪を覚えていた。
嗅覚の鋭いネコ娘には、男の体臭が一際鼻につくのだ。
出来ることなら同じ空間にいたくない。
しかし男はネコ娘に好意を抱いている。
何かと側に近寄ろうとしてくるのだ。
「あ、あの、あたし一人で大丈夫ですから・・・。」
正体をバラすわけにもいかないため、やんわりと断る。
「今店も暇だからさ。遠慮しないでよ。」
そう言って不気味に笑う。
ネコ娘は身の毛がよだつ思いだった。
「あ・・・、じゃあそっちの棚をお願いします。」
と、奥の棚を指差す。
なるべく離れて作業したかった。
二人で作業を始めてからしばらくは無言だった。
ネコ娘は話しかけられなくてホッとしていたが、やがて奥から声が聞こえた。
「猫ちゃ~ん、ちょっと来てくれない?」
嫌だな、と思いながら男の元へと向かう。
「なんですか?」
「この本なんだけど・・・。」
そう言って、手元のリストを指差す。
「どれですか?」
そう、文字が見える位置まで近づくと、ふいに腕を掴まれ引き寄せられた。
そして次の瞬間、男の汗臭い体臭がしたと思ったら、ムニュッという感触が唇を襲った。
「!!!」
キスされたことを理解すると、直ぐ様後ろに飛び退いた。
「猫ちゃん、オレ、君が好きなんだ!」
しかしネコ娘にその告白は届いていない。
立ち尽くすその姿は、まさに顔面蒼白で目の焦点が合っていない。
仕舞いには吐き気までもよおしてきた。
うっ、と口を押さえて走り出す。
「猫ちゃん!?」
男はただいきなり走り去るネコ娘の後ろ姿を見つめていた。
(信じられない!
よりによってあんな奴にファーストキスを奪われるなんて!)
ネコ娘は店を飛び出して、そのまま走り続けた。
走りながら袖で唇を拭うと、涙が溢れてきた。
(初めては鬼太郎って決めてたのに!しかもあんな奴に奪われるなんて!)
そう思うと、悔しさと悲しさで涙が止まらない。
やがて妖怪横丁まで辿り着いたが、
スピードは弛めずそのまま自宅があるゲゲゲの森へと入って行く。
途中長屋の前を通り過ぎたが、そこに誰がいたかなど、
その時のネコ娘には気づく余裕もない。
「今のネコ娘?なんだかやけに急いでたねぇ・・・。」
「ネコちゃん・・・、泣いてたみたいだけど・・・。」
「何かあったのかねぇ?」
縁台でお喋りをしていたろくろ首とアマビエが、
不思議そうにネコ娘の去った通りを見つめていた。
自宅へと帰りついたネコ娘はバタンと玄関の扉を閉め、その場に座りこんでしまう。
「ふっ・・・くっ・・・うぅっ・・・。」
そのまま声を押し殺すように泣き始めた。
カランコロンとのんびりした歩調で、鬼太郎が長屋までやってきた。
「あっ、鬼太郎!」
「やぁ、アマビエ。」
「買い物かい?」
「あぁ、父さんに頼まれてね。」
縁台のアマビエとそんな会話をしていると、奥からろくろ首が出てきた。
「あら、鬼太郎。ねぇ、ネコちゃんに会った?」
「いいや、ネコ娘がどうかしたかい?」
「それが・・・。」
そう言ってろくろ首はさっき見たネコ娘のことを鬼太郎に説明する。
「泣きながら走って行った?」
「えぇ。何があったのかしら・・・。」
ろくろ首は心配そうに眉を寄せる。
「僕が様子を見てくるよ。」
「お願いね、鬼太郎。」
ろくろ首の言葉を背に、鬼太郎は来た道を戻って行った。
「ハウッ!閃いた!今日はネコ娘にとって最悪で最高な日になるよ!」
鬼太郎の背中を見送っていたアマビエがそう予言する。
「最悪で最高?」
「あたいにもよくわかんないけど・・・。」
長屋の縁台では二人がう~ん、と唸っていた。
その頃ネコ娘は、灯りもつけず未だ玄関で蹲っていた。
しかしその時、聞き覚えのある音が聞こえてきた。
その音はカランコロンとのんびり近づいてくる。
(きたろ・・・。)
やがてドアの向こうで音は止み、コンコンとノックされる。
「ネコ娘?いるかい?」
そう声を掛けられれば返事をしないわけにはいかない。
どんなに妖気を殺しても、鬼太郎には通用しないのだ。
「・・・今開けるわ。」
ガチャリとゆっくりドアを開ける。
「やぁ、少しいいかな?」
泣き腫らした顔を見ても、鬼太郎はまったく気にすることなくそう聞いてくる。
「う、うん・・・。」
そんなに興味がないのか?
そんなふうに考えると切なくなるが、ひとまず鬼太郎を招き入れた。
「灯りもつけずにどうしたんだい?」
そう言いながら、畳の上に腰を下ろす。
「・・・ひっく・・・。」
ネコ娘は立ち尽くしたままポタポタと涙を落とし始めた。
「・・・ネコ娘?何があったんだい?」
そんなネコ娘の姿を見て、今度は心配そうに声を掛ける。
「・・・なんっ・・でも・・・ないの・・・っ!」
どうせ自分が誰とキスしようと、鬼太郎にとってはどうでもいいこと。
話しても仕方ない。
ネコ娘はそんなふうに考えていた。
「なんでもないのに泣いてるのかい?それとも僕には話せないこと?」
「・・・あたしは・・・、鬼太郎にとって・・・ただの仲間・・・なんでしょ・・・?」
相変わらず涙を流しながらそう話す。
「一体どうしたんだよ、ネコ娘。」
肯定も否定もしない。
そんな鬼太郎に、ネコ娘は強い口調で返す。
「鬼太郎はっ!あたしが誰にキスされても・・・平気なんでしょ!?」
「キ・・・ス・・・?」
ネコ娘の言葉に、鬼太郎の表情が変わる。
「ふっ・・・くっ・・・。」
ネコ娘はその場に泣き崩れた。
「・・・ネコ娘、誰にキスされたんだい?」
鬼太郎は、座りこんだネコ娘の前までくると、そう静かに聞いてきた。
「・・・うっ・・・、バイト先・・・の人間よ・・・。」
思い出したくもない顔。
あの時の感覚が甦ってくると寒気がした。
「そんなに嫌な相手だったのかい?」
そう優しく聞けばコクコクと無言で頷いた。
「・・・ネコ娘、顔上げて?」
と言うと同時に鬼太郎の右手がネコ娘の顎に添えられた。
そしてそのまま顔を上げると、唇を塞がれた。
「んっ!?」
突然のことにビクンと身体を震わせた。
そしてすぐに唇が離れた。
「・・・・・。」
目に涙をいっぱい溜めて、呆然としながら鬼太郎を見つめた。
「・・・僕じゃ駄目だった?」
少し眉を下げ、鬼太郎はそう言った。
「きたろ・・・、どうして・・・。」
仲間だからといって、こんなことをするだろうか。
それとも鬼太郎にとってはキスなど気にすることでもないのか。
ネコ娘がそんなことを考えていると、鬼太郎が口を開いた。
「嫌な思い出が少しでも薄れたらいいな、と思ってさ。」
そう言うと少し微笑んだ。
「・・・鬼太郎は、誰にでもキスできるの?」
鬼太郎の優しさは嬉しい。
しかしもしもこれが自分以外の誰かだったら。
ネコ娘の質問はそんな気持ちからだった。
「どうしてそう思うんだい?」
「だって!・・・鬼太郎は誰にでも優しいし、
それに・・・・あたしの気持ちだって・・・知ってるくせに・・・。」
そう言って目を反らす。
「ネコ娘の気持ち?ちゃんと聞かせてよ。」
どこまでも惚ける気なのか。
ネコ娘は少し頬を膨らました。
「わかってるでしょ!?」
「僕だって君のすべてを知ってるわけじゃないよ。」
勝てない。
口下手のくせに、こういうときは饒舌なのが鬼太郎だ。
ネコ娘は観念した。
「・・・鬼太郎が好き。・・・ずっと、ずっと前から好き。
だから、初めてのキスは鬼太郎とって決めてたのに・・・。」
どうしてこんなことを言わせるのか。
ネコ娘の気持ちを聞いたところで、鬼太郎にとってはなんでもないはず。
しかし次の鬼太郎の言葉に、ネコ娘は驚いた。
「・・・やっと言ってくれたね。」
「・・・えっ?」
背けていた顔を上げると鬼太郎が微笑んでいた。
「どういう・・・こと・・・?」
「君の気持ちは知ってたけど、そうやって伝えてくれたことはないだろう?
僕が待ってたの、気付かなかった?」
「う・・・嘘・・・だって・・・いつだって素っ気なかったじゃない!」
嬉しいのに信じられない。
そう思うと口調も強くなる。
「あれくらいで諦めるなら、これから続く永遠の時間を共に過ごすなんて出来ないだろう?」
試されていたのだろうか?
でも、だとしたら鬼太郎の気持ちはどうなのか。
そう考えると、心臓がトクリトクリと早くなってくる。
「じゃ・・・じゃあ、鬼太郎は・・・あたしのこと・・・。」
「好きだよ。」
ネコ娘の言葉を遮るように、鬼太郎は静かにそう言った。
「いくら僕でも、仲間だってだけでずっと一緒にはいないよ。」
今度は少し苦笑いする。
「ほ・・・本当に・・・、本当にあたしのことを・・・?」
「信じられない?・・・ネコ娘、君が好きだよ。ずっと傍にいてほしいんだ。」
優しく穏やかに見つめる目は真剣だった。
「きた・・・ろぅ・・・。」
大きな瞳を潤ませて、ただ愛しい人の名前を呼ぶ。
「ずっと僕の傍にいるよね?」
なんて傲慢な言い方か。
その目は拒否を許していない。
しかしネコ娘には効果的だったようだ。
「きたろぅ・・・あたし、あたし・・・ずっと傍にいるよ。鬼太郎が嫌だって言うまで。」
しゃくりあげながらそう言って、鬼太郎を見つめる。
「僕が嫌だなんて言うわけないよ。
まぁ僕の場合、君が嫌だって言っても離れないけどね。」
にっこり笑ってはいるが、その目には闇が潜む。
「にゃっ!あ、あたしが鬼太郎のことを嫌だなんて言うわけないじゃない!」
どれだけ想ってきたと思ってるのよ。
ネコ娘は心の中でそう言ってみる。
「そう?ならいいけど。・・・ねぇ、ネコ娘、キスしていいかい?」
「にゃっ!?あ・・・、でもあたし、鬼太郎以外の人としちゃった・・・。」
また嫌なことを思い出した。
「じゃあさ、僕で最後ってことにしなよ。」
「きたろぅ・・・。」
鬼太郎の優しさが嬉しかった。
「それに、嫌な思い出なんて忘れるくらい、これからたくさんすればいいしね。」
ネコ娘が鬼太郎の優しさに感激していると、笑顔でさらりと大胆な台詞を吐いた。
「んにゃっ!?きっ・・・鬼太郎、性格変わってない?」
ネコ娘は顔を赤くしてそう言うが、
「そんなことないよ?それより・・・。」
と、真っ赤な顔のネコ娘に迫ってくる。
「きっ・・・」
名前を呼ぼうとして口を開けば、すぐに唇で塞がれた。
「っ!!」
何秒かの後、ゆっくりと離れた。
「きたろ・・・。」
うっとりとしているネコ娘を、鬼太郎が見つめる。
するとスッと耳に顔を近づけて、
「ごめん。キスだけじゃ足りないや・・・。」
と囁いた。
「えっ・・・?」
意味が理解出来ないでいると、両肩をゆっくりと押され、組み敷かれた。
「ここから先は、僕が最初で最後だよ?」
「・・・・にゃっ!!??」
やっと意味を理解すると、ボンッと顔から火が出た。
「きっ、きたろ~~~!!??」
その後、二人はめでたく結ばれたが、ネコ娘のファーストキスを奪った人間には、
鬼太郎からの小さなお仕置きがあったという・・・。
終