光と影

鬼太郎の家へと続く道を、バイト帰りのねこ娘はトボトボと歩いていた。

やがて目的地であるゲゲゲハウスまで辿り着き、
重い足取りのまま梯子を上がり、中へと入る。

「おぉ、ねこ娘、アルバイトの帰りか?」
ちゃぶ台の上で茶碗風呂に浸かっていた目玉おやじが尋ねる。
「うん、あ、これお土産のお饅頭。」
「こりゃ、すまんのぅ。」
持ってきた包みをちゃぶ台に置き、自分も腰を下ろす。

「鬼太郎、寝てるんだね・・・。」
見れば幼馴染の少年は、こちらに背を向け静かな呼吸で眠っている。

「ねこ娘、元気がないようじゃが何かあったのか?」
目玉おやじは風呂から上がり、身体を拭きながらそう尋ねた。

「・・・実は、今度お見合いすることになっちゃって・・・。」
少し言いづらそうだったが、鬼太郎が寝ているのをもう一度確認してからそう答えた。
その時、寝ているはずの幼馴染がぴくりと反応したことに、ねこ娘は気づかない。

P2200871.JPG 

 

「見合い?それはまた急な話じゃのぅ・・・。」
ねこ娘が自分の息子を心から好いていることを知っている目玉おやじは、
それがねこ娘の望みだとは到底思えなかった。
「うん・・・、それがね・・・。」
と、ねこ娘は浮かない顔のまま話し出した。

それはバイト先の印刷会社でのこと。
そこは夫婦で営んでいる小さな印刷所で、
経営は苦しいが、とてもアットホームな仕事場だった。

ある日の休憩時間。
社長夫人である奥さんが、ねこ娘にこんな話をしてきた。
「ねぇ、ねこちゃんはお付き合いしてる人はいるの?」
「えっ・・・・、いえ・・・特には・・・。」
本当はいると言いたかったが、相手は人間だ。
根掘り葉掘り聞かれては面倒なので、いないと答えた。
「じゃあ、うちの息子とお見合いしてもらえないかしら?」
「おっ、お見合い!?」
「お見合いって言っても、そんなに大げさなものじゃなくて、
一度会ってお食事してくれればいいのよ。」

夫婦の息子は25歳で、今は別のところで働いているが、
いずれはこの会社を継いでもらいたいと考えている。
その息子が、先日たまたま帰ってきたときにねこ娘を見かけ、
一目惚れしたのだという。

「いや・・・でもぉ・・・・。」
言いよどむねこ娘に、
「ねこちゃんはとっても働き者だし、将来娘になってくれたら私も社長も嬉しいんだけど、
決めるのはねこちゃんだから、せめて一度会ってもらえないかしら?」
ねこ娘は21歳と言って、働いている。
そのため息子にもちょうどいいと思ったのだろう。
ここの夫婦にはずいぶんとよくしてもらっている。
世話になっている手前、無碍に断るわけにもいかなかった。
「お願いできないかしら・・・?」
申し訳なさそうに頼むのは、やはり可愛い息子のためだろう。
ねこ娘はそういう表情に弱い。
「・・・・じゃあ、お食事だけなら・・・。」
「ありがとう!!そうと決まれば日取りを決めなくちゃ!」
ねこ娘の手を取り礼を言うと、いそいそとどこかへ消えていった。


「・・・というわけなの。」
「う~む、そうじゃったのか・・・・。」
腕組みしながら聞いていた目玉おやじは、唸りながら納得した。
そして横で寝たふりを決め込む鬼太郎は、黙って話を聞いていた。
「まぁ、食事だけだからそんなに考え込むこともないんだろうけど・・・。」
そうは言ってもやはり気が乗らないのは、好きでもない、会ったこともない相手だということと、
いつも素っ気ない幼馴染の存在のせい。
「鬼太郎には話さんのか?」
「えっ?・・・・・うん。
鬼太郎は・・・・、興味ないと思うし・・・。」
少し寂しげにそう話すねこ娘に目玉おやじはそうか・・・、とだけ返した。
ふいに、
「あ、もうこんな時間。」
自分のケータイで時間を確認すると、もう夕飯時だった。
「おやじさん、お腹すいたでしょう?」
「おぉ、もうそんな時間か。」
「鬼太郎は寝てるし、あたし用意するから少し待っててね。」
「すまんのぅ。」
いいのよ、と言い残し、いつもの笑顔で夕飯の準備を始める。
見合いのことはまだ蟠っているが、こうして二人の世話をできることが、
ねこ娘にとってはささやかな幸せだった。
(ねこ娘なら、いい嫁さんになるじゃろうなぁ・・・。)
と、後姿を見つめながら、目玉おやじは心で呟く。

「ふわぁぁぁ・・・・。」
そのとき大きな欠伸がひとつ。
「あ、鬼太郎、起きた?」
夕飯の準備をしていたねこ娘がいつもの笑顔で振り向く。
「あぁ、ねこ娘、来てたんだね。」
さも今目が覚めたかのように振舞う。
「うん、今お夕飯の準備してるから、少し待っててね。」
「悪いね。」
さっきまでのしょげた顔はどこへやら。
鬼太郎の顔を見ればすっかり元気を取り戻した。
悪いね、と言う息子も少なからず嬉しそうなのは、
父親であればわかるものだった。
そして普段からこの息子が、この幼馴染の少女を何かにつけて気にかけていることも知っている。
だが当のねこ娘に対しては、まるで興味がないかのように振舞う。
何か考えがあってのことだろうと、あえて口出しはしない。

「できたわよ~!」
明るい声がすると、なんだか空気まで柔らかくなるようだった。
この娘が親子にとってどんなに大切でかけがえのないものか、
おそらく口には出さなくても、鬼太郎もわかっている。

いただきます、と3人で食卓を囲む。
それは特に珍しい光景ではなく、いつものよくある風景だ。
この日常がどれほど心安らかで幸せなものかは、
きっと失って初めて、心から気づくものなのだろう。

他愛ない話をしながらの3人での食事。
ねこ娘にとっても、大切で幸せな時間。
さっきの話など、思い出すこともないくらい。

ねこ娘の作った料理を3人で平らげ、食後のお茶をすする。
「ふ~む、うまかったのぅ。」
げっぷをしながらぽっこりと膨らんだ腹を擦る。
「うん、おいしかったよ、誰かに教わったのかい?」
自分の作ったものを、おいしいと言ってもらえる。
これだけでねこ娘は幸せだった。
「あ、ありがと!あれはねぇ、今のバイト先の社長の奥さんに教わったの。」
少しだけ頬を染め、そう答えた。
「そう、また作ってよ。」
鬼太郎は本当に満足したのか、笑顔でそう言う。
(ほぅ・・・・。)
目玉おやじは珍しい息子の発言に少々吃驚した。
ねこ娘も同様だったようで、一瞬キョトンとして、すぐに、
「うん!またいつでも作るよ!」
そう笑顔で返した。
鬼太郎に期待されたことが心から嬉しかった。


翌日、ねこ娘が出勤すると、
「あ、ねこちゃん!おはよう。」
と、社長夫人が声を掛けてきた。
「あ、おはようございます!」
「昨日話したお見合いの日時が決まったのよ!」
満面の笑顔でそうねこ娘に近づいてくる。
「あ・・・・そうなんですか。」
忘れていたわけではないが、なるべく考えないようにしていた。
しかし日時が決まってしまえばそうはいかない。
不安ばかりがねこ娘の心を支配していく。
「今週の日曜なんだけど、大丈夫?」
「あ、はい・・・。」
「じゃあ・・・・。」
そう言って、場所と時間を言い渡された。

仕事を終えトボトボと歩いていると、ふいに声を掛けられた。
「ねこ娘。」
「あ、鬼太郎・・・・、ど、どうしたの?こんなところで。」
落ち込んでいるのを隠そうと必死だった。
夕飯の買い物さ、と買い物カゴを持ち上げる。
「バイト、終わったの?」
「あ、うん。」
「・・・・父さんに聞いたよ。
お見合い、するんだってね。」
「!!」
鬼太郎に知られた。
それがひどくショックだった。
しかし、悟られまいと、
「あ・・・うん。でっでも!会って食事するだけだから!」
必死に弁解するが・・・。

「いいんじゃない?いい人かもしれないし。」
「へっ・・・・・?」
わかっていた。
わかっていたはずだった。
もしも鬼太郎に話したところで、こういう返事が返ってくるのは。
でも怖かった。
だから話さなかった。
そしてやっぱり予想したとおりの言葉が返ってきた。
心のどこかで行かないでほしいと言って欲しかった。
でもそれもやはり淡い期待でしかなかった。
「・・・・そう・・・だね。」
俯き、小さく震えながら、そう言うのが精一杯だった。
「ねこ娘?」
「・・・あたし、帰るね・・・。」
涙を見せないように、それだけを気にしてその場から走り去る。
残された鬼太郎の瞳には、ただ闇だけが広がっていた。

自宅へ駆け込み息を整えると、ねこ娘はその場に崩れ落ちた。
「くっ・・・ひっく・・・・。」
容赦なく悲しみが襲う。
(わかってたことじゃないっ!!)
自分に言い聞かせるように胸の中で叫んだ。
猫娘は、その後しばらく泣き続けた。


その日は晴れていた。
ねこ娘の心とは裏腹に快晴だった。
いっそ雨でも降ればよかったのに、と晴れた空を恨めしそうに見上げた。

鬼太郎の家にはあれから行っていない。
あんな去り方をして、どんな顔で会ったらいいのかわからなかった。
ぼぅっと数日を過ごし、その間も考えるのは鬼太郎のことばかり。
今日という日が永遠にこなければいいのに、と何回思っただろう。
それでも月日は流れ、今日という日を迎えた。

仕事先の社長の息子と会うのに、いつもの恰好というわけにもいかないだろうと、
今日は白いワンピースを着てきた。
本当の見合いなら着物なのだろうが、そこまで硬くならないでいいと
社長夫人が気遣ってくれた。

指定の場所はホテルの最上階にある展望レストランだった。
約束より少し早めに着いたねこ娘は辺りを見回す。
すると、
「ねこちゃん!」
と自分を呼ぶ声がした。
見ると景色のよさそうな窓際の席で、社長夫人が手を振っている。
そちらへ向かいながら目を移すと夫人の横に息子であろう男性が座っていた。
見た目は、人間でいうハンサムの部類だろう。
席まで行き、こんにちは、と挨拶する。
「ねこちゃん、これがうちの息子の高志よ。」
「高志です、今日はきてくれてありがとう。」
そう言った高志の頬は、仄かに赤く染まっている。
「あ、猫宏美です。」
一通り挨拶を済ますと席に着く。
「この前も話したけど、この子ったらねこちゃんを一目見て気に入っちゃってね、
早く会わせろって、うるさいのなんの。」
「かっ、母さん!!」
ねこ娘は親子の様子を見て、ただ苦笑いするしかなかった。
「あ、あの、ねこさん、今日はねこさんにプレゼントがあるんです。」
「え・・・?」
そう言って色とりどりの花束を差し出した。
「わぁぁ・・・綺麗・・・・。」
思わず感嘆の声をあげる。
「ねこさんに似合うと思って・・・。」
そう言って優しく微笑んだ。
それを見て、思わずドキッとしてしまう。
「あ・・・ありがとうございます。」
花を受け取りしばし見つめる。
いつもぶっきらぼうな想い人。
こんな風に素直な笑顔を向けてくれることは滅多にない。
ちょっと意識してしまうのはそのせいだと、自分に言い聞かせる。

「それじゃ、あとは当人同士にまかせて、邪魔者は退席するわね。」
そう言って夫人は帰っていった。
その後食事をしながら高志と話をした。
話をしたというよりは、高志の質問に答えていただけ。
趣味は、好きな食べ物は、どんな音楽を聴くのか、など、
とにかくねこ娘の嗜好を聞きだそうと懸命だった。
適当とは言わずとも、それらしいことを答えることにねこ娘は疲れていた。

食事も終わり表に出ると、海の見える公園へと連れられて行った。
正直帰りたかったが、タイミングが掴めずにいた。
目の前に広がる海を見つめながら、ベンチに座り再び高志の質問攻めに合う。
(はぁ・・・・よく喋る人だなぁ・・・。)
普段は自分も喋るほうだが、今日は聞かれることに答えるだけ。
元々乗り気じゃなかったし、ねこ娘の頭の中では鬼太郎のあの言葉がぐるぐるしていた。
『いいんじゃない?』
止めて欲しかった。
『行くな』そう言って欲しかった。
言わないとわかってても、期待せずにはいられないのが乙女心。
そんなことをいちいち気にしていては鬼太郎の側にいられないことくらい、
もう十分わかっている。
それでも・・・・。
そんなことを考えていたら、目の奥が熱くなってきた。
するとポトリと涙が零れた。
それに気づいた高志が、
「ね、ねこさん!?」
と声を掛ける。
吃驚しただろう。
いきなり涙を流したのだ。
「あ、ごめんなさい、なんでもないんです!」
と、笑顔を作るが、後から後から涙が溢れる。
「あ・・やだ・・・あたし・・・。」
オロオロしているねこ娘を、高志は何か決意したように見つめる。
「・・・・ねこさん!!」
そう名前を呼び、抱きしめた。
「!!!」
「ねこさん!オレ・・・、ねこさんが好きだ!」
慰めているつもりなのだろうか。
ねこ娘はただ戸惑い、固まっていた。
鬼太郎以外の男に抱きしめられているなんて、
自分を裏切っているような気持ちになる。
「は・・・離して!」
必死に体を離そうとするが、力が強く離れない。
「どうして泣いてるのかわからないけど、オレなら泣かせないから!!」
何をどう勘違いしているのかわからないが、一人で盛り上がっている高志に、
ねこ娘は多少イラついていた。
「は、離してったら!!」

すると、

「ねこ娘。」

ふいに後ろから声がした。
振り向くと、そこには鬼太郎が立っていた。
「きっ・・・・鬼太郎・・・・?」
なぜこんなところにいるのか、ねこ娘がそんなことを考えていると、
「こんなところにいたのか、探したよ。」
そう言いながらこちらへつかつかとやってくる。
「さぁ、帰ろう。」
ねこ娘の腕を掴み、無表情のまま高志をチラッと見てそう言った。
「えっ?あ・・・き・・・きたろ・・・?」
わけがわからず鬼太郎に引っ張られていく。
すると、鬼太郎の手がねこ娘の首筋に触れた。
「あっ・・・・。」
途端ねこ娘はがっくりと意識を失い、力の抜けた身体を鬼太郎が抱きかかえる。
それまで呆然と見ていた高志がようやく口を開く。
「・・・あの・・・君は・・・?それにねこ娘って・・・。」
後ろ向きのまま顔だけをこちらに向ける鬼太郎の目には闇が映る。
「あぁ、『ねこちゃん』・・・だったっけ?」
「えっ・・・・?」
答えの意味がわからずに言葉が出てこない。
「・・・悪いけど、彼女にその気はないから。」
「なっ・・・!」
どうやら自分からねこ娘を横取りしようとしているらしい少年に、
高志は抗議した。
「ねこさんとはこれからお互いを知っていけばいい!
オレはねこさんが好きだ!ねこさんだって・・・そのうち・・・・。」
段々自信がなくなっていくように、声が小さくなる。
それを聞いて鬼太郎は、口の端を上げ、フッと笑う。
「・・・残念だね、それは絶対に叶わないよ。」
「!!!なんでそんなことがわかる!!」
あまりにも自信満々な言いように、高志はムキになって食ってかかる。
「・・・・だって、彼女は僕のものだからね。
もう何十年も前から・・・・。」
「なっ・・・!?」
どう見ても自分より10歳以上年下の少年。
だがその目には深い深い闇が広がっていて、とても子供のものではない。
身震いがした。

P2200870.JPG 

「どんなに君が彼女を想っても、彼女の瞳は僕しか映さない。
そして・・・・、僕は彼女を誰にも渡すつもりはない。」
その深い闇を湛えた瞳が、これ以上追うならどうなっても知らないよ、と言っている。
あまりの恐怖に、高志はその場にへたり込む。
すると少年はゲタの音を鳴らして闇に消えて行った。


「・・・・・ん・・・。」
「気がついたかい?ねこ娘。」
「あ・・・・あれ?・・・きたろ・・・?」
ぼぅっとする頭で何があったのか整理する。
起き上がるとそこはゲゲゲハウスだった。
「・・・あたし、なんで・・・。」
「たまたま君を見かけて一緒に帰ろうとしたら、
急に眠ってしまったんだよ?」
「そう・・・だったの・・・。」
「疲れてたんじゃないのかい?」
熱はないみたいだけど、と言って、冷たい手をねこ娘の額に充てる。
「ひゃっ!・・・き・・・鬼太郎・・・・?」
にっこりと微笑む鬼太郎を見れば、それまでのことなどどうでもよくなってしまう。
頬を染め見つめているとおもむろに立ち上がり、こちらを振り向くと、
「今日は僕が夕飯を作るから。
食べていくだろ?ねこ娘?」
いつになく優しい。
「あ・・・うんっ!」
あたしも手伝うよ、と言って笑顔で立ち上がる。

(まったく・・・・、危なっかしくて目が離せないよ。
まぁ、もしまたこんなことがあっても、僕は全力で止めるけどね。)
隣で楽しそうに下ごしらえをするねこ娘を、冷たい闇の目で見つめながら心で呟く。

 

『君が僕を照らす光ならば 僕は君を護る影でいよう』

 

 

 

TOPへ   展示部屋へ